~ 石黒産業の歩み ~

明治26年4月、富山県石動町(現在の小矢部市)にて「石黒商店」の商号で設立し、今年で創業130周年を迎えます。また、現在の商号である「石黒産業」としては設立73周年となります。

明治26年4月石黒兵太郎が富山県石動町(現、小矢部市)に商号、石黒商店を設立し、赤レンガ製造、セメント陶菅販売、木材業、土木建築請負事業を営む
大正14年3月組織変更により、商号を合名会社石黒商店として前田次三郎(初代)が業務を継続
昭和5年7月社名を石黒合名会社へ変更
昭和12年3月石黒合名会社より赤煉瓦部分を分身し、後谷に新工場を建設。石黒工業株式会社(現石黒煉瓦工業株式会社)設定
昭和25年4月石黒合名会社よりセメント陶菅販売部門を分身し、資本金300干円にて、「中越産業株式会社」を設立、初代社長に2代目 前田次三郎が就任
昭和27年4月中越産業株式会社を社名変更し、「石黒産業株式会社」とする
昭和35年6月ブロック課を開設し建築ブロック製造販売、工事設計施工を営む
昭和38年5月住宅設備機器課を設け、家庭用ボイラー冷暖房機器の卸し販売を行う
昭和39年6月ブロック芹川工場がJlS表示許可工場に認定
昭和42年4月空調機器課を設け、空調機器、自動機器の卸し販売を行う
昭和43年10月石油課を設け石黒石油サービスステーションを新設
昭和43年10月各製品の輸送関係の充実化を図るため資本金1,600干円にて有限会社石黒運輸設立
昭和44年12月5階建本社ビルを新築
昭和45年6月生コン課を設け生コンクリートの製造販売を行う
昭和46年12月富山営業所を開設
昭和46年12月石黒宇部生コン工場がJlS表示許可工場に認定
昭和48年4月埴生石油サービスステーションを新設
昭和48年5月企画開発部を設け、炉材、耐火材の販売を行う
昭和48年9月企画開発部内で動産・不動産・宅地造成分譲を行い石黒拓建を設ける
昭和48年11月石黒ブロック子撫工場を新設
昭和49年10月金沢営業所を開設
昭和50年8月石黒プロパンを新設
昭和52年2月代表取締役社長に前田彰三(2代目)就任
昭和53年10月日本で初めての自動車博物館として「日本自動車博物館」を開館
昭和55年10月富山市中川原新町に富山営業所移転
昭和57年6月平桜石油サービスステーションを新設
昭和58年4月石黒ブロック工場にてインターロッキングブロック製造、土木課(OLBインターロッキング販売)
昭和58年6月土木課(基礎クイ打工事、地盤改良工事、アルミサッシ販売)
昭和59年1月小矢部営業所を芹川地内へ移転
昭和59年4月業務拡大のため金沢営業所を、金沢支店に改組
昭和59年5月本社、増築工事完成
昭和63年9月ブロック工場内にOLB専用工場新設
平成2年8月生コン工場マイコン制御CRT方式新プラント稼動 業務拡大の為、富山営業所を富山支店に改組
平成2年9月金沢支店移転、ショールーム“ザ・マッチ”新設 金沢市郊外御経塚地内に4階建石黒ビル完成
平成3年1月富山支店、3階建事務所、倉庫完成 ショールーム“ザ・タッチ”新設
平成3年8月小矢部市内に物流センター新設
平成3年12月物流センター内にショールーム“ザ・ニッチ”新設
平成4年4月ブロック工場新工場増設、新鋭機導入稼動
平成6年8月小矢部営業所移転(小矢部市芹川40-1) ショールーム“ザ・ニッチ”併設
平成7年6月日本自動車博物館を小松に新築移転
平成8年6月石黒拓建を宅地分譲完了に伴い、解消
平成9年10月土木課を廃止し、一部を他部門へ移行
平成9年11月埴生サービスステーション新装オープン
平成11年4月空調機械課を廃止し、一部を住宅設備機器課へ移行
平成12年10月リブブロックの製造販売
平成13年12月石黒煉瓦工業株式会社の赤煉瓦製造部門を廃止し、跡地を宅地造成
平成15年7月代表取締役社長に前田智嗣(3代目)就任
平成17年3月「メルヘンランドスケープ」宅地分譲開始
平成17年10月住設部高岡営業所新設
平成20年11月生コン製造部門を分身し、三協生コン株式会社を設立
平成23年3月有限会社石黒運輸を石黒産業株式会社へ吸収合併し業務を継続
平成24年2月砕石、土石採取部門を分身し、おやべ土石有限責任事業組合を設立
平成24年9月福井営業所を福井市高木北4丁目に開設
平成26年9月新ブロック工場を小矢部市藤森5001番地に新設・稼働開始し、生産および倉庫機能を移管
平成28年2月「高岡営業所」を「本社 営業部(小矢部市芹川40-1)」へ移転統合
平成28年7月「福井営業所」を「金沢支店(野々市市御経塚4丁目95)」へ移転統合